ジョン・ボーナムのドラミングは、ロックという音楽の枠組みそのものを押し広げてしまった、ひとつの「現象」のような存在です。
ただ音を刻むだけではなく、フレーズのひと打ちごとに重量感と躍動感が宿り、聴く者の体を強制的に揺らしてしまう―それが、レッド・ツェッペリンの屋台骨を支えたドラマー、ジョン・ボーナムの真骨頂と言えるでしょう。
ボーナムのプレイを語るうえで欠かせないのが、その驚異的なダイナミクスです。
フルパワーで叩きつけるようなスネアの一発から、ゴーストノートのようにそっと差し込まれる繊細なタッチまで、強弱の幅が極端に広いにもかかわらず、決してバラバラには聞こえません。
「Rock and Roll」や「Black Dog」で聴けるドライブ感あふれるビートは、ただ音量が大きいのではなく、音の立ち上がりと余韻のコントロールが精密に計算されているからこそ生まれる迫力です。
バスドラムの扱いも、ボーナムならではの特徴があります。
足元から突き上げるような低音は、重戦車が突進してくるかのような圧を持ちながら、リズムの輪郭は驚くほどシャープです。
「Good Times Bad Times」で披露される高速のバスドラムワークは、当時、多くのリスナーが「ツインペダルに違いない」と信じ込んでいたほどで、シングルペダルでここまでのスピードとキレを両立させた彼の技術は、今なお語り草になっています。
しかし彼の凄さは単なる技巧にとどまらず、そのフレーズが曲全体の“うねり”をデザインするように配置されている点にあります。
ボーナムのドラミングに独特の個性を与えているのが、「間合い」のセンスです。
ドラムは本来、テンポを司る楽器ですが、彼はあえて音を置かない「空白」の時間に意味を持たせました。
「When the Levee Breaks」に象徴されるように、タメの効いたスネアと重く響くキックの間には、空気がねじれたような緊張感があります。
フィルインも単に小節を埋めるための装飾ではなく、次の展開へと曲を一段押し上げるための“仕掛け”として配置されており、その一打一打が、音楽のドラマを視覚的に想像させるほどです。
リズムパターンの引き出しの多さも、ジョン・ボーナムの特筆すべき点です。
ブルースやロックンロールに根ざしたビートを基本としながら、ジャズやファンク、さらにはラテン音楽のニュアンスまでも自家薬籠中のものとして取り込みました。
「Fool in the Rain」で聴ける、ハーフタイム・シャッフルとサンバの要素が混ざり合ったビートは、レッド・ツェッペリンの中でも特にユニークで、ロックドラマーが異ジャンルのグルーヴをどう解釈し、自分の言語として再構築できるかを示した好例です。
同様に「Kashmir」では、複雑なリフのうねりを支えながら、あくまでシンプルなパターンで巨大なスケール感を描き出しており、彼のリズム感の柔軟さと器の大きさが浮き彫りになっています。
しかし、ボーナムのドラミングの魅力はテクニックやリズムパターン以上に、「人間臭さ」に集約されます。
わずかな揺らぎやラフさが逆にグルーヴを際立たせ、機械的な精度では到底生み出せない“生々しいノリ”を作り出しています。
レッド・ツェッペリンの楽曲を聴き返すと、同じフレーズでもライブごとにニュアンスが変化しており、彼がその瞬間の空気や感情をドラムを通して即興的に表現していたことがよく分かります。
譜面には落とし込めない微妙なタイムの揺れ、クラッシュシンバルを叩く強さ、フィルインへ突入するタイミング―そうしたすべてが、彼の個性として耳に刻み込まれます。
ジョン・ヘンリー・ボーナムは、1948年5月31日、イングランド・ウスターシャー州レディッチに生まれました。
幼い頃からリズムに取り憑かれていたと言われ、まだ子どものうちから家にある缶や鍋を並べて叩き、自分なりの「ドラムセット」を作って遊んでいたエピソードは有名です。
正式な音楽教育を受けることなく、10代になると独学でドラムの腕前を磨き、地元のバンドやR&Bグループなどで場数を踏むことで、実戦的なテクニックと勘を身につけていきました。
彼のスタイル形成には、ジーン・クルーパやバディ・リッチといったジャズドラマーが大きな影響を与えましたが、そのまま真似るのではなく、ブルースやR&B、ロックンロールの荒々しさと融合させ、自分だけのサウンドへと昇華していきました。
サウンド面でも、ラディック製の大口径ドラムや大きなシンバルを好んで使用し、スタジオレコーディングでは階段ホールにドラムを設置して残響を取り込むなど、エンジニアと共に音作りを追求したことも、彼のドラミングの存在感を決定づけています。
1968年、ギタリストのジミー・ペイジから声がかかり、レッド・ツェッペリンに参加することで、ボーナムのキャリアは大きく飛躍します。
ロバート・プラントのボーカル、ジョン・ポール・ジョーンズのベース/キーボード、そしてペイジのギターと並び立つ形で、彼のドラムは単なるリズムセクションの一員ではなく、バンドのサウンドを前面から牽引する存在となりました。
「Whole Lotta Love」や「Immigrant Song」などで聴ける、推進力あふれるドラミングは、レッド・ツェッペリンのヘヴィでありながらもしなやかなサウンドを決定づけ、ライブでは長大なドラムソロ「Moby Dick」によって観客を圧倒しました。
時に素手でドラムヘッドを叩くなど、視覚的なインパクトも含めてステージを支配するその姿は、ロックドラマー像の原型のひとつと言っても過言ではありません。
しかし、その輝かしい活動はあまりにも突然に終わりを迎えます。
1980年9月25日、ジョン・ボーナムはわずか32歳でこの世を去りました。
その死は音楽界に大きな衝撃を与え、レッド・ツェッペリンのメンバーたちは「ジョン・ボーナムなくしてバンドは成り立たない」として、解散を決断します。
この選択は、彼がいかにレッド・ツェッペリンにとって不可欠な存在であったか、そしてそのドラミングがバンドのアイデンティティそのものだったかを物語っています。
今日に至るまで、ジョン・ボーナムの名前は「史上最高のロック・ドラマー」のひとりとして繰り返し挙げられ続けています。
無数のドラマーが彼のフレーズやサウンドを研究し、そのグルーヴを追い求めてきましたが、同じようにコピーしてもなお再現しきれない“何か”が、彼のドラミングには確かに存在します。
それはおそらく、テクニックや機材を超えた、音楽への情熱と本能的なリズム感、そしてその瞬間を全力で叩き切る覚悟のようなものなのでしょう。
ジョン・ボーナムがスティックとペダルで刻んだビートは、レッド・ツェッペリンの楽曲の中だけでなく、ロックというジャンルそのものの心臓部として、今も鳴り続けています。
彼のドラミングは、単なる過去の功績ではなく、現在進行形で多くのミュージシャンにインスピレーションを与え続ける、生きた遺産なのです。