「私の主張(Affirmation)」ジョージ・ベンソン
Affirmation by George Benson
ジョージ・ベンソンのアルバム Breezin’(1976年5月発売)に収められた「私の主張(Affirmation)」は、派手さではなく細やかな職人技が光る一曲です。
滑らかなリズムと洗練されたアレンジが同居し、ギターの情熱的な弾き回しだけでなく、鍵盤やリズム隊の繊細な色づけが曲全体の空気を決定づけています。
Breezin’という作品自体が当時のクロスオーバー/ジャズ・ポップの潮流を象徴しており、ジョージ・ベンソン(George Benson)の音楽性が大衆性とジャズ的表現を橋渡ししている点が重要です。
この楽曲の制作陣は豪華で、アルバム全体を通じてトミー・リプーマのプロデュースのもと、クラウス・オガーマンの管弦アレンジが温度感と広がりを与えています。
セッション・メンバーにはラルフ・マクドナルドらが参加し、鍵盤はホルヘ・ダルトやロニー・フォスター、ドラムはハーヴィー・メイソンが、リズムの骨格と同時に「間」の作り手として機能しているのが聴きどころです。
特にハーヴィー・メイソンのプレイは、単にタイムを刻む以上のもので、スネアドラムの軽いタッチやハイハットの開閉の度合い、シンバルの消え方など、こうした微細な選択がフレーズの輪郭を浮かび上がらせ、全体のグルーヴをゆったりと牽引しています。
彼はビートに対して呼吸を与え、ギターと鍵盤が伸びやかに歌えるための「余白」を用意し、結果として曲は弛緩しすぎず、しかし余裕を感じさせる絶妙なテンポ感を保っています。
曲中の間奏では、鍵盤が二重に役割を果たしています。
ホルヘ・ダルトのピアノやクラヴィネットはコードの内部に細かなテンションや色味を差し込み、和声の変化で場面転換を演出し、一方でロニー・フォスターのシンセ/ピアノは音色の光沢や持続音で空間を満たし、ベンソンのギターと対話を交わす「相手役」として働きます。
両者の配置は単なる伴奏以上に、ソロの舞台装置やコール&レスポンスの仕組みを作り出しているため、間奏がバンド全体の会話へ自然に広がるのです。
ジョージ・ベンソンのギターは技巧を見せつけるタイプのソロとは一線を画し、フレーズの選択、ビブラートの残し方、タイミングのずらし方など、微妙な「手触り」が連なって楽曲全体に確信めいた説得力を与えています。
ここでいう「確信」は押しつけがましさとは無縁で、聴き手の内側に寄り添って呼吸を合わせるような力で、音が過剰に説明しないぶん、聴く側の想像力が介入しやすく、繰り返すたびに新たな発見が現れる構造になっています。
演奏を分解してみると、個々のプレイヤーの個性ははっきり聞き取れます。
ハーヴィー・メイソンのドラムタッチ、ホルヘ・ダルトやロニー・フォスターの鍵盤ワーク、そしてジョージ・ベンソンのギターがそれぞれの声を持ちながら、互いに応酬して楽曲を構築しています。
だからこそ「私の主張(Affirmation)」は単なるソロの寄せ集めではなく、有機的な対話として成立しているのです。
静謐さと推進力、余白と密度が同居するその均衡感が、聴き続けさせる魅力の核になっています。
この曲は、ヘッドフォンでの再生をおすすめします。
間奏の鍵盤ひとつひとつ、スネアドラムの残響、ギターのわずかなピッキングノイズなど、そうした微妙なニュアンスが際立ち、細部の配置やミックスの妙が見えてくるはずです。
Breezin’というアルバム全体がクロスオーバーの金字塔とされる所以は、こうした繊細な音作りと演奏のバランスにあると思います。
Affirmationを繰り返し味わうことで、ジョージ・ベンソン(George Benson)と彼を支えた一流のミュージシャンたち、特にハーヴィー・メイソンの「間の芸術」がより深く理解できるでしょう。
「私の主張(Affirmation):ジョージ・ベンソン」