ボビー・ハリソンというドラマーを語るとき、多くの人が真っ先に思い浮かべるのは「派手さ」や「超絶技巧」ではなく、音楽全体にそっと溶け込むような“たたずまい”ではないでしょうか。
彼のドラミングは、主役として前に出るよりも、楽曲の呼吸や情景を丁寧に支えることで存在感を放つタイプのものです。
その姿勢こそが、時代を超えて聴き手の心をとらえ続ける理由だと言えます。
「青い影」に刻まれた、揺らぐ三連符の魔法
ボビー・ハリソンの名前をロック史に刻んだのは、やはりプロコル・ハルムのデビュー曲「青い影(A Whiter Shade of Pale)」での演奏でしょう。
ゲイリー・ブルッカーの歌声とバッハ風のオルガンフレーズが強く記憶されがちな曲ですが、その土台を陰から支えているのが、ハリソンのドラムです。
特に注目したいのが、あの印象的な「三連符のグルーヴ」。
テンポ自体はゆっくりとしているのに、ドラムが刻む三連符は、微妙な揺れと間合いを含んだ独特のビートとなって曲全体を包み込みます。
単に譜面どおりに三連を並べているのではなく、音の余韻や強弱、空白の取り方まで計算された叩き方によって、まるで水面のうねりのようなリズムが生まれているのです。
その三連符は、メロディにしがみつくことも、前のめりにリズムを引っ張ることもありません。
あくまで楽曲の背後で静かに脈打つ「心音」として機能し、曲に漂う幻想的なムードと、どこか宗教的ともいえる厳かな雰囲気を、無理なく支えています。
ここにこそ、ハリソンの音楽的センスと聴く力の高さが表れています。
「歌うように叩く」ドラマー
ボビー・ハリソンのドラミングを形容するなら、「メロディを理解しているドラマー」という言い方がふさわしいでしょう。
彼は、ドラムを単なる打楽器として扱うのではなく、ボーカルやオルガン、ギターと同じように“歌わせる”ことを大切にしていました。
フィルインの数は多くありませんし、派手なソロもほとんどありません。
しかし、サビに向けてほんの少しスネアを強くしたり、歌詞の切なさに呼応するようにライドシンバルのニュアンスを変えたりと、曲の感情曲線に寄り添う形で細かな変化をつけていきます。
こうした「繊細なダイナミクスコントロール」と「全体を俯瞰するバランス感覚」が、彼の真骨頂です。
そのアプローチは、まさに「歌うドラマー」あるいは「語るドラマー」と呼ぶにふさわしいものです。
テクニックを見せつけるためではなく、楽曲のストーリーをより深く伝えるためにスティックを振るう―彼のプレイには、そうした美学が一貫して感じられます。
静かに輝き続ける“語るドラマー”
ボビー・ハリソンは、決してメインストリームのスターとして君臨したドラマーではありません。
けれども、プロコル・ハルム、フリーダム、スナフー、さらにはソロ作品に至るまで、一貫して自分の信じる音楽性と誠実なプレイスタイルを貫きました。
2000年代にはソロアルバムも発表し、晩年まで音楽と距離を置くことなく活動を続けます。
2017年にこの世を去った後も、彼の参加したレコーディングやライブ音源は、多くのリスナーやドラマー志望のミュージシャンにとって、静かな教科書のような存在となっています。
派手なドラマーではない。だが、深いドラマーである―。
ボビー・ハリソンは、そんな言葉が似合う、イギリス・ロック史の隅々に静かに光を投げかける存在です。
彼の残したビートに耳を傾けるとき、私たちは、ドラムという楽器が持つ“語り”の力と、音楽における「間」の美しさを、あらためて思い出さずにはいられません。
ボビー・ハリソンは1943年、ロンドンに生まれました。
ブリティッシュ・ロック黎明期の空気を肌で感じながら成長し、60年代半ばには本格的にミュージシャンとしての活動をスタートさせます。
まだロックというジャンル自体が形成されつつあった時代に、彼はR&Bやブルース、ジャズなど、さまざまな音楽を吸収しながら自分のスタイルを磨いていきました。
1967年、そんな彼に大きな転機が訪れます。
プロコル・ハルムのオリジナルメンバーとしてデビューを飾り、「青い影」の世界的ヒットに参加したのです。
クラシック音楽の要素をロックバンドに取り入れたこのグループにおいて、ハリソンは、クラシカルで荘厳なサウンドとロックのビートを違和感なく結びつける“潤滑油”の役割を果たしました。
しかし、プロコル・ハルムでの活動期間は長く続きません。
音楽的志向やバンド内の方向性の違いなども影響し、彼は早い段階でグループを離脱することになります。
とはいえ、その短い在籍期間だけでも、ロック史に残る印象的な足跡を残したことは疑いありません。
「フリーダム」で見せた、より野性的な一面
プロコル・ハルム脱退後、ハリソンは自らのバンド「フリーダム(Freedom)」を結成します。
ここで彼は、よりギター主体のブルースロックやハードロックに接近し、先鋭的なサウンドを追求しました。
フリーダム期の彼のドラミングは、「青い影」で聴ける抑制の効いたプレイとは対照的に、骨太でエネルギッシュです。
シンプルな8ビートの中にも、細かなゴーストノートや跳ねるようなキックの入り方があり、グルーヴを前進させる推進力が強くなっています。
ここで顕在化したのは、彼の「ロックドラマーとしての躍動感」です。
プロコル・ハルムでは“背景”としての役割に徹していたのに対し、フリーダムではドラムが明確にサウンドの“顔”の一部となり、曲全体の熱量を引き上げる役割を担っています。
静と動、その両極で魅力を発揮できることが、ハリソンの奥深さを物語っています。
「スナフー」で育んだファンクネスとソウル
1970年代に入ると、ボビー・ハリソンはファンク・ロックバンド「スナフー(Snafu)」を率いることになります。
ここではドラマーのみならず、シンガーとしても表に立ち、ソウルフルな歌声と確かなリズム感でバンドを牽引しました。
スナフーでの彼のドラミングは、ブルースやファンク、ソウル、R&Bなど、ブラックミュージックの要素を多分に取り入れたものへと進化します。
16ビートの刻みやシャッフル・グルーヴのニュアンスには、プロコル・ハルム時代にはあまり見られなかった“身体性”が宿っており、曲全体を踊らせるグルーヴを生み出していました。
特にライブ演奏では、キメのブレイクやテンポチェンジをドラムが主導し、即興的なアドリブのやり取りの中で、バンド全体をぐいぐいと引っ張っていく姿が印象的です。
ここでの彼は、もはや「バックを支える職人」という枠に収まらず、「バンドサウンドの舵取り役」としての存在感を放っていました。
ドラムという楽器で「物語」を語る人
ボビー・ハリソンの演奏をまとめて振り返ると、共通して見えてくるものがあります。
それは、ドラムを「リズムを刻む道具」としてだけではなく「物語を語るための表現手段」として扱っていたということです。
フレーズの多さや手数ではなく、「どこで叩かないか」「どれだけ音を残さないか」といった、いわゆる“間”の取り方に意識が向いているため、彼のドラミングにはいつも余白があります。
その余白があるからこそ、他の楽器やボーカルが息をしやすくなり、結果的に楽曲全体が豊かに響くのです。
「青い影」の三連符に耳を澄ませると、その一打一打の背後に、彼なりのストーリーテリングが感じられます。
波のように寄せては返すリズムは、時間や記憶、感情の揺らぎを暗示しているかのようで、ただのバックビート以上の意味を帯びています。あのドラムがなければ、「青い影」は同じ曲であっても、あれほどまでに深い余韻を残すことはなかったでしょう。