ポール・マッカートニー「アナザー・デイ」

音楽事象

ポール・マッカートニーが1971年に発表した「アナザー・デイ(Another Day)」は、ビートルズ解散直後という激動の時期に世に出た、彼の初シングルです。
世界的なスターバンドの一員から、ひとりのソングライターへ―その転換点に生まれたこの曲は、派手なロックアンセムではなく、あくまで静かでささやかな日常を見つめる物語を選びました。
その選択こそが、ポール・マッカートニーという作家の本質をよく表しています。

「アナザー・デイ」に登場するのは、華やかなヒロインではなく、ごく普通の都会で働く女性です。
目覚まし時計の音で起きて、身支度を整え、満員のバスや電車に揺られながら通勤し、オフィスで周囲に気を配りつつ、決められた仕事をこなしていく。
退屈と言ってしまえばそれまでの一日ですが、その繰り返しの中に、報われない想い、誰にも言えない不安、いつか何かが変わるかもしれないというかすかな期待が潜んでいます。

ポールは「Another Day」で、そんな女性の心の揺れを、ドラマチックな出来事ではなく「ありふれた瞬間」を通して描き出します。
たとえば、昼休みにぼんやり窓の外を眺める一瞬や、家に帰って一人分の夕食を用意するときの静けさ―目立たない情景が、歌詞の中では鮮やかな映画のワンシーンのように立ち上がってきます。
彼女の口から語られることはほとんどないのに、聴き手は自然とその心の声を補ってしまう。そこに、この楽曲の物語性と普遍性があります。

メロディーは非常に穏やかで、決して力強く叫ぶことはありません。さらりとしたポップスでありながら、どこか胸の奥に引っかかる切なさが漂っています。
ポール・マッカートニー特有の、やわらかなメロディラインとさりげないコード進行が、女性の孤独を過度に悲劇的にせず、むしろ「それでも明日は来る」という静かな肯定感を与えているのが印象的です。
タイトルの「Another Day」という言葉も、絶望ではなく、「また新しい一日が始まる」というニュアンスを含んで響きます。

レコーディング面では、「アナザー・デイ」はポールのマルチプレイヤーぶりがよく表れた作品としても知られています。
ベースやギター、ピアノなど、多くのパートを自ら演奏し、楽曲全体のトーンを細部までコントロールしています。
控えめなリズムセクション、ふんわりとしたコーラス、印象的なピアノのフレーズが重なり合い、都会の朝から夜までの時間の流れをなぞるような、柔らかいサウンドスケープを作り出しています。
ポールのボーカルは、叫ぶのではなく語りかけるようで、聴く人の耳元でそっと物語を紡いでいくかのようです。

ビートルズ時代のポールといえば、「レット・イット・ビー」や「ヘイ・ジュード」のような大きなメロディを持つ名曲がまず思い浮かびますが、「Another Day」はそれとは対照的に、スケールをぐっと縮めた、ひとりの人物の小さな世界に焦点を当てた作品です。
だからこそ、多くのリスナーが自分自身や身近な誰かを重ね合わせ、「これは自分のことだ」と感じられる余地が残されています。
特に、仕事と生活の間で揺れながら日々を過ごしている人にとっては、時代を越えて心に響く歌と言えるでしょう。

「アナザー・デイ」は、派手なクライマックスを用意しないまま、淡々と物語を終えます。
それでも聴き終えたあと、なぜかその女性の「明日」が少し気になってしまう。その余韻こそが、この曲の持つ力です。
忙しさに追われて心がすり減りそうになったとき、あるいは「このままでいいのだろうか」とふと立ち止まりたくなったときに再生してみてください。
静かなサウンドとささやかな物語が、あなた自身の「何でもない一日」を、少しだけ愛おしく感じさせてくれるはずです。
 
アナザー・デイ/Another Day」ポール・マッカートニー/Paul McCartney(YouTube)
 
アナザー・デイ/Another Day:ポール・マッカートニー/Paul McCartney
 

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